お茶コラム:お茶の歴史

日本茶鑑定士・日本茶インストラクターによるお茶コラム。
今回は「お茶の歴史」。

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お茶の歴史

掲載日:2009年11月13日

5000年前『農業や漢方の神様 神農皇帝が今日の漢方薬の基礎なる実験、すなわち様々な薬草を探して口に含み噛んで調査しました。その際解毒のためにお茶を食した』という話があります。それが正しければお茶は5000年の歴史があるんです。現在のようにお湯で煎じて飲むスタイルはもう少し後の時代からのようです。

西暦670年ごろ陸羽によって書かれた世界で最初の専門書『茶経』で始めて「お茶を飲む」という記述を見ることが出来ます。

日本ではどうでしょう?史実として確かなのは815年に嵯峨天皇が近江に行った際、

永忠と言う僧が茶を煎じて献上したところ、天皇がいたく気に入って、畿内、近江、丹波、播磨の国にお茶の栽培を奨励した。」

と言う話がありますが、面白いことにその後,お茶の記録が300年後の鎌倉時代まで残されていないんです。当時はどういうお茶の味だったのか興味ありますね。

その後、鎌倉時代になり再び日本にお茶をもたらしたのが臨済宗の開祖・明庵栄西

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(明庵栄西)

「南宋時代の中国から持ち帰った茶の種子を背振山(現在の福岡県と佐賀県)の霊仙寺に蒔いた。」

と言う記録があります。栄西禅師は1211年『喫茶養生記』を著し、製法から薬効まで解説し、「粉末にしたお茶を茶碗に熱湯を注いで飲む」と言う飲み方を紹介しています。

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(喫茶養生記)

室町時代になると武士の間でもお茶が飲まれるようになり、ワインのテイスティングのような『闘茶=とうちゃ』という茶会が盛んに開かれました。

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(闘茶はこのような感じです。)

闘茶はやがて100年ほどで衰退していき、『侘茶=わびちゃ』の文化が花開きます。武士たちの派手な宴会ともいうべき闘茶への反動で誕生した侘茶は奈良の僧"村田珠光"によって提唱され有名な孫弟子の"千利休"によって完成されました。

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(千利休)

この日本独自の『茶道』という文化は、外見の華やかさにとらわれずにものごとの本質を見極めようというもの。華美な道具や装飾を廃止、必要最低限のミニマリズムの中に"美"を見出そうとしたのです。その精神はまさに『侘』。

直接目に見る美しさではなく、その風情の中に美的な境地や、心の充足を探求しようとする精神を持って見ることの出来る美しさ、すなわち『目』ではなく『心』でみる美しさが利休の『わび』であり利休の茶の湯を語るキーワードといえるでしょう。

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(金沢兼六園の茶室です。)

秀吉をもてなす為に利休が庭の朝顔を全て摘み、一輪だけ茶碗に挿してもてなしたという逸話など、その『侘』を端的に表現した芸術活動ではないでしょうか。日本人の中に今も残る引き算の美学はこうして生まれたのだと考えられます。

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(豊臣秀吉)

一方、茶道とは別に、ようやく庶民の間にも広がっていったお茶は、江戸時代になって『番茶』のような手軽な飲み方で一般化していきます。

現在われわれが家庭で日本茶を飲むスタイル、つまり急須や土瓶に茶葉を入れて上から湯を注ぐ飲み方は『淹茶=だしちゃ』と呼ばれ、江戸末期から明治初期にかけて広まっていき、現在も続いています。

山科茶舗によるお茶コラム